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岸田劉生展 |山王美術館|2022年9月2日移転オープン

岸田劉生展 |山王美術館|2022年9月2日移転オープン大阪・京橋にある山王美術館では「ここでしか会えない芸術作品」をテーマにコレクションのみによる展覧会を開催。芸術作品との出会いの場をこれからも創出して参ります。

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岸田劉生展 |山王美術館|2022年9月2日移転オープン 美術館について 展覧会 コレクション ミュージアムショップ ご利用案内 アクセス 開館時間10:00〜17:00(入館は16:30まで) 休館日火・水曜日(祝日は開館) お問い合せ TEL 06-6942-1117 今後の展覧会 生誕135年 山王美術館コレクションでつづる 岸田劉生展 会期 2026年9月3日(木)~ 2027年1月31日(日) 休館日 火曜日・水曜日 (但し9月22・23日、11月3日は開館) 年末年始(12月29日~1月2日) 開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで) 入館料 一般       1,300円 大学生・高校生  800円 中学生以下    500円 *中学生以下、保護者同伴に限り2名様まで無料 *障がい者手帳をご提示の方およびその介助者(1名)は1,000円 お知らせ *山王美術館は日時指定予約制ではありませんが、展示室が混雑し、一定の人数をこえた場合には、入場制限をさせていただく場合がございます。ご理解、ご協力の程お願い申しあげます。 愛娘・麗子の肖像画で知られ、日本の近代美術史を代表する画家の一人である岸田劉生(1891-1929)。 黒田清輝の洋画研究所で外光派の表現を学び、雑誌『白樺』に紹介されたゴッホなど後期印象派の作品に強く感銘を受け画風が変化、北方ルネサンスの細密な写実表現を経て、中国の宋元画や肉筆浮世絵といった東洋画への傾倒へと至るまで、わずか38年の短い生涯で、日本画や油彩画といった洋の東西を超えた多彩な作品を描きました。 本展では、岸田劉生の生誕135年を記念し、4年ぶりの展示となる《麗子肖像》をはじめとする肖像画、京都時代の日本画、晩年の静物画など、当館所蔵の劉生作品を一堂に公開いたします。またコレクションより、武者小路実篤ら白樺派文化人との交友を示す《白樺同人寄書帖》、富本憲吉、梅原龍三郎、中川一政など、劉生と関りの深い同時代の作家作品もあわせてご覧いただきます。山王美術館でしか出会うことのできない作品の数々を、どうぞお楽しみください。    【展覧会のみどころ】      岸田劉生≪村娘図≫1919年、山王美術館 岸田劉生≪芝居絵(六代目中村伝九郎の朝比奈)≫1922年頃、山王美術館 岸田劉生≪菊≫1928-1929年、山王美術館 1) 岸田劉生生誕135年 山王美術館では、2009年のオープン以来、コレクションのみによる展覧会を開催してきました。他の美術館との作品の貸し借りは行っておらず、本展覧会で展示する作品の何れもが、「ここでしか会えない芸術作品」です。 本展では、38年という短い生涯の中で、洋の東西を超えて多彩な作品を残した岸田劉生の生誕135年を記念し、山王美術館所蔵の作品17点に加え、劉生作8点を含めた白樺派メンバーの友情の証《白樺同人寄書帖》も合わせて展示いたします。   岸田劉生≪麗子肖像≫1920年、山王美術館 岸田劉生≪麗子桜花図≫1920年頃、山王美術館 岸田劉生≪お手玉≫1924年頃、山王美術館 2)山王美術館の麗子   劉生は深い愛情を込めて、愛娘・麗子の作品を数多く描きました。本展覧会では、当館コレクションの《麗子肖像》(1920年)を4年ぶりに展示、また《麗子桜花図》(1920年頃)を初展示いたします。 富本憲吉≪白樺同人寄書帖≫1922-1924年、山王美術館 岸田劉生/倉田百三≪白樺同人寄書帖≫1922-1924年、山王美術館 岸田劉生≪白樺同人寄書帖≫1922-1924年、山王美術館 3)劉生をめぐる人たち   白樺派の歌人木下利玄が所蔵し、劉生も画を寄せた《白樺同人寄書帖》(1922-1924年)、富本憲吉、梅原龍三郎、中川一政など、同時代の作家作品を合わせて展示、劉生と同時代の文化人との交友について紹介いたします。 岸田劉生(1891-1929) 明治の先覚者岸田吟香の四男として東京・銀座に生まれる。1908年に白馬会葵橋洋画研究所にて黒田清輝に師事し外光派の表現を学ぶ。1911年、前年に創刊された文芸雑誌『白樺』紙面で紹介されたゴッホなど後期印象派に感銘を受ける。同年、清宮彬(せいみやひとし)の案内により柳宗悦、武者小路実篤と知り合い、以後『白樺』周辺の文化人と交友を深める。1912年、高村光太郎らとヒュウザン会(翌年フュウザン会に改称)を結成。この頃より北方ルネサンスの影響を受けた写実的な作風に転じる。1915年、中川一政、椿貞雄らと草土社を結成、重厚かつ克明な写実表現は大正画壇に大きな影響を及ぼした。1922年、梅原龍三郎に誘われ、春陽会に客員として参加。翌年、関東大震災の被災により1926年まで京都へ転居する。この頃より宋元画や肉筆浮世絵に傾倒し、東洋的な味わいのある洋画や日本画を描くようになる。1929年、満州からの帰国直後、滞在先の山口県徳山で急逝。1918年、愛娘・麗子をモデルに《麗子肖像(麗子五歳之像)》(東京国立近代美術館)を描いて以降、没年まで様々な姿の麗子像を制作した。   【岸田劉生展|プレスリリースはこちら】 展覧会のご案内へ戻る 美術館について 展覧会 コレクション ご利用案内 アクセス